2005 キング・カメハメハ・フラ・コンペティション日本大会
マカラプア 福田昭子
2005年12月9日
キング・カメハメハ・フラ・コンペテイション日本大会に初出場し、クプナ・ワヒネ・アウアナ部門において、第3位に入賞した感激は、今でも余韻が残っています。 私たちクプナクラス『マカラプア』は、ハワイの若きクムフラ、ナラニ ケアレ先生のご指導を仰ぎ、満寿美先生の熱心な、エネルギー溢れるレッスンをして戴き、楽しくフラを踊り、人生を謳歌しています。
発表会の興奮もさめやらぬまま
2005年10月15日、モアニ アラ オ カウラカヒのハラウの発表会が大好評の中に行なわれました。この後、キンカメの出場まで、2ヶ月しかありませんし、コンペテイションに、エントリーするのも初めてです。最初から、権威あるキンカメに、そしてハワイ有数のミュージシャン、ナ パラパライに歌って戴いて、踊ると云う事に、不安と緊張でいっぱいでした。
この様な私たちを、ナラニ ケアレ先生のフレッシュな感覚と、フラの伝統を重んじた、振り付けの素晴らしさ、そして、ホイとカイのパフォーマンス、フォメーションの演出の良さと相俟って、満寿美先生のメレの解釈、目線、笑顔、動き…等、日頃のレッスンにも増して、きめの細かいご指導で、少しは自信も付いて来ました。
メンバー全員が努力し、一つの気持ちになり、心から楽しんで踊りましょう、とお互いに励まし合い、いつの間にか心の準備ができてきました。
驚きの3位入賞!
本番を前にして、ハワイのクムと日本の先生のお二人の先生が、前日、明け方ちかくまでかかりレイを整え、一人一人にそれを身につけて下さり、祈りの言葉に送られて舞台に進みました。
私たちは、不思議と全員が気持ちの切り替えが出来て、踊りきる事ができました。そして、驚きの3位に入賞することが出来ました。これも、ナラニ ケアレ先生が、また、満寿美先生が、日頃、私たちを家族の一員として思いを懸けて、お教え下さったお蔭と感謝しています。
ハク、レイ、マレイ・・・皆の声援
人生、還暦も過ぎキンカメに出場し得た事は、久々の緊張感の中、足腰との格闘、心の葛藤があった中で、ナ パラパライのメレで踊り、ハワイからのメーキャップアーチストにメークをして頂き、深紅の衣装を、そしてハワイの生の花のハク、レイ、マイレイを身に付けて踊れた事の幸せを実感し、益々フラの奥の深さを改めて感じました。 満寿美先生のお母様、栗原嘉子先生を始め、ハラウの皆さんや友人の大声援を頂き、また家族の日頃の協力が有ればこそ、初めてこの様な成果を得ることが出来ました。 本当にありがとうございました。
ワヒネのグループも惜しくも選に漏れましたが迫力のある演技でした。共に努力をしてきた、ヌイナ・テアレの皆さんにおおきなエールをお贈りします。 これからも、満寿美先生のハラウで、ご指導を頂き楽しいフラを踊りたいと思います。
ヌイナ ティアレ 高橋 美紀
出場がきまって。。。
私自身はもちろんハラウ自体も初めてのエントリー。
フラレアなどでよく見る大きな競技会で優勝したらハワイの本大会に出場するということだけで、どんなものなのかどんな人たちと競うのかまったくわからない世界。
こんな大きな大会に出場する不安と期待が入り混じっていた。
2005年はホイケもあり、体もスケジュールも非常にハードだったが出るからには全力でがんばろうと思った。
独特なオーラ。。。
体験したことのないなんともいえない雰囲気が建物のなかを漂っていた。
場所が違うせいもあるが2004年に出場したワールドとはまた違うかんじだった。
控え室にいても他の出場者が練習している声や気迫が伝わってきた。
素直にすごいなと感じたが同時に気持ちがひきしまった。
いつものように着替え、飾り、とあわただしく支度の時間が過ぎていった。
いよいよ出番。。。
新しい仲間も加わり今までにない大人数になったが練習してきたことを全員で一緒に出し切るだけだ。いろいろな思いが頭をよぎったがこの日のために私たちの出場をサポートしてくださったすべての人に感謝して踊ろうと思った。
会場一周にいる観客、真っ白な床、バンドさんの透き通った歌声・・・あっという間に演技は終わった。
結果は残念ながら出なかった。技量か、表現力か、先生がいつもおっしゃっている「お互いが回りの人を感じながら踊る」が他の出場者より足りなかったのかもしれない。でもくよくよしない。結果を謙虚に受け止めて次の機会に活かせばいいのだから。
大会を終えて。。。
あらためてフラを楽しみながら続けていきたい、アロハの精神や文化をもっと学びたいと思った。クムや先生のご指導のもと踊りも心も成長していけたら・・・もちろんフラの大好きな仲間と一緒に。
牧浦 奈緒子
練習の日々
大会の練習が始まったのはホイケ(10月15日)が終わったあとだから、大会まで2ヶ月を切っていた。’出場する人はホイケが終わってからも練習の日々で大変だなぁ’と他人事のように思っていた。
アウアナ部門の曲Kuwiliは慣れないプイリと高速の曲でリズムを掴むのが大変だった。
その上、ちゃんとした音源がなかったのだ(正しい音源で踊ったのは大会の2日前!)。
カヒコ部門の曲Aia I Nu'uanu Ko Lei Naniは踊りと歌とオリを覚えなくてはならなかった。初心者の私には難題だった。
覚えることが沢山ある上、練習日も多くなり、私も出場者メンバーに入っているのかしら?と思い始めたころ、だんだん精神的にも肉体的にも追い込まれて行った。
迷いから眠ることもできず・・・
人前で1回しか踊ったことのない私が(10月のホイケが初舞台でした)、日本で一番有名なフラの大会に出ていいのか?フラ歴1年に満たないのに!!
日々練習に追われながら出たいのか、出たくないのか、出てもいいのか、出ない方がいいのか、先生は私の辞退の言葉を待っているんじゃないか?
悶々として眠れない日もあった。
でも私に出来ることは練習をしっかりやることだけだった。
本当に出るんだと実感したのは衣装が来たときだ。
私の分の衣装が出来ていた。先輩に着させてもらいながら、先生に衣装の着方を教わりながら、大会に出ることの重大事に気づき、奮い立つ思いで体が震えたのを覚えている。
大会当日をむかえ
あの独特の雰囲気はあの会場にいないと絶対に味わえないものだろう。
今思い出しても懐かしさと嬉しさと緊張で胃がギシギシする。
リハーサル室でのざわざわした感じ。色々な草花の香り。練習する人の声。
ミュージシャン達の音合わせ。色んな衣装で通り過ぎる人。
準備に追われ、走り回る満寿美先生やクムやメンバー。他のハラウの人達の熱気。
みんな最高のHULAを披露する為に集結したのだ。
みんなみんな私達と同じように困難を乗り越えてやっとこの場所に辿りついたのだ!
そう思うと嬉しくなって片っ端から褒め称えて握手して回りたかった。
が、そんな暇はもちろん無く、準備に追われてバタバタしている間に出番になってしまった。
感涙
舞台は明るくて暖かくて、気持ちよく踊れた。
舞台裏で励ましあったメンバーや、最後まで声を掛けてくれた先生とクムのおかげで、安心して踊ることが出来た。
応援の声の大きさに本当に励まされた。
二つの踊りが終わったあと涙がボタボタ落ちてきた。
反省とか後悔とかよりも、心からの感謝とこの場所に、このメンバーといることが嬉しくて誇らしくて感動して泣いてしまった。
ひとつのものをみんなで作り上げるって素晴らしい!
この日のことは一生忘れないしこれから何回も思い出していくことになるだろう。
こんな素敵な体験が出来たのもハラウメンバー、先生、クム、それから家族のおかげ。
感謝しまくっても足りません。本当にありがとうございました。
そしてまた練習
またみんなでひとつのものを作り上げることに参加したい。
大会直後とは違い、今は反省や悔しさの気持ちもじわじわ出てきた。
感動と感謝と反省と悔しさを忘れず、これらを原動力にしてこれからもますます練習に打ち込みたい。
その日がいつ来てもいいように練習に励みます!
活動記録 この他の活動記録はFacebookページにあります。
2002 MOMENT IN HULA
レポート1
2003 MOMENT IN HULA
レポート1
2005キンカメ体験記
レポート1
2006 World Invitational Hula Fes
改めて感じたフラの奥深さ